今年度で定年の予定なのだけれども、いま若干不調をきたして休職中の身であります。
本来は、昨日からの出勤予定であったのだが、こころのエンジンが、なかなかかからず、調子が上がってこない自分が不甲斐ないところです。
大学卒業以来、入職してからこんなこととは無縁であったのだけれど何かが何かに反応しているのだろう。
男の更年期障害なのでしょうか?
老いていく現在と、次の段階(プレ前期高齢者)に進みたくない、まだこちら側に居座りたい自分との葛藤もあるような気がしていますが、、、
話は変わりますが、
息子はもう十数年前から他国で仕事をしている。
家内は三年程前から、単身で出張中である。
そして、今年(つい最近)娘が、仕事で旅立っていった。(他国へ)
恥ずかしながら、私の、淋しさ、哀しさ(悲しさ)に言葉はない。
その孤独を文字で表現することは、わたしの能力を超えるところである。(彼らの自立を愛でる気持ちも含めて)
時折、夜中に目が覚め背中あたりから、ぐうっっと断続的に寂寥感が襲ってくることがある。 さみしいのだ。。
しかし、いまブログだから(失礼の言い方になるが)、さほど気負わず書けるので、ありがたいけど。
もちろん、子らは巣立っていく。自分たちもそうであったし、またいつか終焉を迎えていくのだろう。人生の連環の中からはみだせないのだから。
ただ私には、知識がなくわからないことがある。
雛たちは、もちろんある時期が来たら巣立ちが始まる。
その時、親鳥の思い(?)というものは、種の維持という本能による使命感の中で昇華されているのだろうか。いや使命感なんかでもなく、日常の連綿と続いてきたごく普通のことなのだろう。
しかし、かすかな一瞬、雛鳥たちと過ごした時間に、想いを馳せるのこともあるのだろうか、涙したりするのだろうか?
また突然ですが、昔でいう還暦は、日本人の食生活、衛生環境、医療制度や、社会の変容等、諸々の部分も含め10~15年は押して(伸びて?)いることだと思われる。
我々の年代にとってありがたいことであるが、そこには多くの労力と、努力が結集されてここまで成り立ってきたのだろう。
しかし、ふと振り返れば我々が得てきたものと、無くしてきたものの引き算はどうなっているのだろう。もちろん算数的正解はないだろう。世の中から、格差や、事故、事件(テロ等も含め)は、一切なくならない。
我々は、先人の努力や向上心によって多くのものを獲得してきた(というより受け渡されてきた)。が、ただ、その分配のあり方に対する細心の注意が図られてきたのだろうか。
もちろん、私程度の人間が語れないことではあるけれど、正にしろ負にしろ連鎖は、どこかで、誰かが断ち切らないと終わらない。
だけれど、でも、しかし、連鎖は表裏一体(正も負も)で、本能に近く、理性から遠い。
やはり、出だしからやはり話がずれてしまったよ。。