風に吹かれているようなのだが・・

軽度の鬱状態である日々の出来事やら関心事を、眠る前に記しておきたい、

ひとカラで感じた社会情勢なんかについて、、

本日も、うだるような暑さだ。暇をもてあましヒトカラ(一人カラオケ)に行った。

 

歌うことは非常に心地よい、ストレスの発散にもなる、また呼気、吸気の意識的な連続が体調にいい影響を与える。ヨガ等でよくいう呼吸法に似ている。

日本も、もう少し歌唱の重要性を認識すべきではないだろうか。まあ、各々はしているだろうからこれだけカラオケ等が中高生の間で人気なのだろうけれど。

オリンピックや各種競技前にも連帯感や意識高揚のため国家を歌う。歌は祈りに似ている。昔から言霊といわれるが、我々は、言葉や歌で感動や感銘を受けたりいつもしている。

 

素晴らしい文章、絵画、彫刻、映画等それらのものに触れた時も、多大なる感銘は、もちろん受けているけれど、私自身はそういった音楽及び歌唱に出会えたときに、一番感情が左右される。

これは私だけの思い?

まさに、日本発のカラオケ文化が世界を席巻(そこまでいってないか)しているらしいが、さもありなんとおもう。歌は得て不得手と関係なく、自己発散・解放の原動力であり、ある時は自分自身及び仲間たちを鼓舞する源でもある。

 

いや、私の言いたいことは、幼いころからの授業の中で、もっと音楽、歌唱等について授業の時間をしっかりと意図して作っていくべきだと信じるものである。(皆の前で恥ずかしい生徒は、個人レッスン等もありで。。)

 

外(社会)に、これだけのカラオケ文化もある。そのこころは?? このうだるような静電気を帯びた世間において自己表現の場がないのだ。子らは、いや大人たちも。

そこに対応していくのは教育として必要だろうし、ことにその基本になる発声練習等は、現代社会において必要な科目(教育)ではないだろうかと感じている。

 

現在までの音楽授業といったものを見直し(かと言って現在の授業を見にいったことはないがw)一度、実験的に歌唱というものに重点をおいた年度計画を作っていったらどうだろうか。もちろんクラシックも聞く等多くの音源に触れ、学問的な素養も培いながらにおいての話ではあるけれど、、、、

 

自身の体験でいうと、歌うと心地よい、脳内の世迷言が発散できる。もし歌手等であれば(想像するに)、聴衆が自分の歌を聴き盛り上がると全身がカッと鳥肌も立つだろうし、拍手喝采などがあれば自己実現の最たるものであろう、と思われる。

 

まあ、でも歌手といわれる方々の多くが、すべての礼讃や尊敬に浴していないことも重々承知していますが。。

でも彼らは、恐らく歌うことがきっと楽しいのだろうね。誰に認められなくても、気持ちがいいのだ。それを知ってしまったら、忘れられないのだよ、きっと…。これは他の分野においても同様なことが起こる。それは重要なことである。人は評価が欲しい!

 

だが自己表現の、一番わかりやすく認識しやすいものがではないだろうか。

自己表現の在り方は、もちろん様々だ。文章で表現する作家もいる、肉体で表現するアスリートたちもいる、ダンサーもいる、バレリーナだって、皆自己の重要性を表現したい、知って欲しい、自分を認めてもらいたのだ。

歌は、恐らく一番身近で、自己を表現できる世界である。だって肉体以外何もいらない。

 

だから、先ほどからいうように、若い時に、音楽の授業等で、歌唱法、国語でいうところの文章能力、体育でいうところの反射神経等々を鍛えていくことが大切だと思うんだけどなぁ。

だって昔のように、天や地に収穫の恵みを祈り感謝する祭りにおけるところの歌や踊りがいまやないのだから… 私がすこし偏り過ぎですかねえw。   

 

社会は進んで(変化いや変容していく)、校舎や校庭の外で・・

 

そこに合わせ、学校教育も変わらねば(大分話が大きくなったがw)、あらゆる変革及び暴力(テロ)においてもそうだろう。

その成り立ち、有り様、これからのものの考え方、とらえ方(色んな角度や立場から)の教育がもちろん必要だ。これだけの多様化を我々が進めてきたのだから。

 

しかし、私の単純な経験則からいうと音楽は、福音かもしれない。 思想も黙り込む…かな?

 

もしかしたら、読み書きだけを教える時代は終わってしまったのでは??   

な~んて思ったりした、今日のひとカラ・・・